2012年9月18日火曜日

*【開催決定しました!】ADcafe.311 vol.07 【2012.10.6(土)】*

◆ADcafe.311 vol.07を開催します◆
2012年第3弾、vol.07の開催が決定しました!

今回は、SHIBAURA HOUSEさんの3階で開催することになりました!

スピーカー
・Community Crossing Japan/荒昌史さん・伊丹早織さん・島矢愛子さん
・ISHINOMAKI2.0/小泉瑛一さん
・避難地形時間地図(逃げ地図)/谷口景一朗

今回はテーマを東日本大震災から広げた<「防災」と「地域」>とし、
東日本大震災前から活動している団体、震災後に活動を開始した団体、双方からこれまでの取り組みとこれからの活動などについてお話し頂く予定です。

日にち:2012年10月6日(土)
時間:13:50開場 14:00開始 17:00終了予定
場所:SHIBAURA HOUSE 3F
〒108-0023 東京都港区 芝浦3-15-4(JR田町駅 徒歩7分)


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参加費:無料
参加方法:adcafe.mail@gmail.comまで参加の旨と名前・連絡先をご連絡ください。


<program>
13:50 開場
14:00 スタート
14:10 Community Crossing Japan1/荒昌史さん・伊丹早織さん・島矢愛子さん
14:40 ISHINOMAKI2.0/小泉瑛一さん
15:10 避難地形時間地図(逃げ地図)/谷口景一朗
15:40 休憩 16:00 ディスカッション 17:00 クローズ

出席希望のご連絡、質問等は上記アドレスまでご連絡ください。

ADcafe staff

2012年7月10日火曜日

ADcafe.311 vol.06 レビュー

01.28に行われたADcafe.311 vol.06のレビューを掲載します。
今回のレビューは、阿部玄さん(JA設計)に書いていただきました。

前回の青木くんによるレポートに負けず劣らず、ボリューム満載のレポートとなっておりますので、是非ご一読下さい。

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ADcafe vol.6 は

・三陸わかめプロジェクト/相田麻実子さん

・女川仮設住宅と仮設住宅の現状調査/VAN(Voluntary Architects Network) 宮幸茂さん

・失われた街プロジェクト・大沢みらい集会/神戸大学大学院槻橋研究室 友渕貴之さん

・庭JAPAN/古川乾提さん

にお話を伺いました。



今回は震災関係のプロジェクトの分類(2011.9.8 中木さんの分類)にしたがうと

1)避難所の居住性・仮設に関すること

*女川仮設住宅と仮設住宅の現状調査/VAN(Voluntary Architects Network) 宮幸茂さん

2)本設の復興計画

*われた街プロジェクト・大沢みらい集会/神戸大学大学院槻橋研究室 友渕貴之さん

3)ファイナンスによる事業の支援

*三陸わかめプロジェクト/相田麻実子さん

4)具体的なボランティア活動

*庭JAPAN/古川乾提さん

のように分類できるかと思います。

今回はの金融の面での事業支援や庭師を中心として活動する方からの報告など新しい内容や、大学を中心とした活動、継続的な活動報告をいただいているものなど、多彩な内容になりました。



1)南三陸わかめプロジェクト/相田麻実子さん

森ビルの相田麻実子さんが、南三陸ののわかめ漁師のちょうさんを支援するために始めたプロジェクトです。

津波によって、わかめを養殖するための特殊なロープが流されてしまい、養殖ができなくなってしまったちょうさんのために、マイクロファイナンスの手法を使って支援しようとするものです。

具体的な事業スキームは、

1)インターネットで一口1500円ほどの出資を募る

2)その集めたお金でちょうさんにわかめの養殖するためのロープを購入する

3)ちょうさんはそのロープを使ってワカメをつくり、出資者にわかめを返す

(マイクロファイナンス事業とは、このようなインターネットを通じて、少額の融資を募ってお金をあつめる手法のことです)

わかめプロジェクトのファンドが被災地で行われる事業と大きく異なる特徴として、出資者と出資を受けるひととの損得がほぼイーブンであることです。通常の ファイナンス事業であれば出資者にリターンが多くなるように運用しますし、また支援の場合は多くは寄付として受けるひとに利益が多くなるようになっていま す。



そうして集めた資金でただ養殖用のロープを届けてしまうのではなく、出資者とちょうさんをつなぐ取り組みを行っていきます。

1/ウェブサイトの立ち上げ

2/ワカメのプロモーション(試食会など)

3/わかめの養殖体験

などを企画実施して、わかめのファンを増やしていったそうです。



そうした活動のなかで、気づいたことととして、

<1>支援を受ける人との信頼関係

<2>わかめの魅力を伝えて、共感を得ること

<3>漁師のいる浜全体を支援する仕組みを作ること

をあげられていました。



<1>についてはもちろん大切な前提条件ですが、事業を続ける中で困難な状況になったこともあったそうです。

それは、ちょうさんが支援に対して生産したワカメで返すのに難色を示したことでした。ちょうさんには、ロープを寄付してくれれば、わかめを返すような責任がないのにどうして!という気持ちがあったことが原因だったようです。

この問題については、相田さんも支援の形として悩まれた点だそうです。寄付という形であれば、何か返す責任もなく漁を始められますし、被災したちょうさんに とってはいいことかもしれません。しかし、そうなると支援者との関係がそのまま途切れてしまいます。マイクロファイナンス事業により資金を集めれば、そこにワカメのリターンという責任ができるけれど、その責任から新しいお客さんとのつながりがうまれ、ちょうさんの今後にも繋がっていく。相田さんは後者を選 んだわけですが、その課程には粘り強く対話して、信頼関係を構築することが欠かせなかったと思います。

<2>は事業がすすみはじめて、多くの支援者の共感を得てそれが広がっていく過程は、何にもかえがたく愉しい時間だったのではないかと思いました。わかめ養殖体験で、講師として指導するちょうさんの笑顔が印象にのこります。

<3> 事業は特定の個人を支援するプロジェクトとしてはじまったのですが、それが軌道に乗ると、地域に広がりを持っていくことになりました。漁師は、個人として だけでなく、地域のなかのひとりとしても存在しているから、漁師が属するコミュニティーを対象にしくみを広げていく必要があり、今度は南三陸のわかめ漁師 を支援するプロジェクトへ変わって行ったそうです。

今後はファンドとしては一旦役割を終え、わかめのブランディングをして継続的な支援を目指しているそうです。



2)女川仮設住宅と仮設住宅の現状調査/VAN(Voluntary Architects Network) 宮幸茂さん

震災以後の活動は以前に、避難所での紙管の区切りや仮説住宅の設置について発表していただいています。

詳細についてはVol.4の小池さんのレビューも参考になさってください。

今回はコンテナを使った仮設住宅のその後について発表をいただきました。

現在、女川で建設されている仮設住宅は次の三種類あるそうです

1)プレハブメーカー;壁の断熱なし、収納なし

2)ハウスメーカー:壁の断熱あり、収納なし

3)VANのコンテナ仮設住宅;壁の断熱あり、収納あり

VANで担当された仮設住宅は、他の仮設住宅の現状調査を反映して設計しているために、逆に周囲との格差ができてしまっている現状が浮かび上がっています。中には女川ヒルズという揶揄のされ方をしているほどだそうです。そうした格差に対応するために、周辺の仮設住宅の現状調査をはじめたそうです。この現状調査では、実際の状況を確かめて、問題がどこにあるのかを把握することを目的として行っています。調査では、仮設住宅の人たちの現状を聞くのが中心でした。(調 査とはいいながらお菓子や果物をもらって長居してしまったり、その結果、一つの住居に時間がかかりすぎて予定通り回れなかったり、といったほほえましいような一幕も)調査の結果、仮設住宅の中では、まだまだ収納が足りない現状が見えてきたそうです。

しかし、こうして見えてきた問題に対して、どういった対応のレベルで対応していくのがよいのでしょうか。

1/個々に対応する問題

2/団地ごと、あるいはメーカーごとに対応する

3/仮設住宅一律に対応する問題

今現在、収納が足りないという問題は、果たしてその問題に直接に対応するべきものなのか、それとも、仮設だからある程度我慢してもいい問題なのか。仮設住宅といういつかはなくなるものに対して、収納の問題をどのように対処すべきなのか、検討しているそうです。

また、調査を通じてもうひとつ浮かび上がってきたのは、生活圏の問題です。仮設ながらも長く住まなくてはならないことがわかって来ており、仮設の供給だけで はなく、カフェや居酒屋などのコミュニケーションのための場が必要とされ始めています。これに対しては仮設住宅の広場として作られたものがオープニング以 来使われていないので、それを活用していくことで対応していくことになるそうです。

被災地で次々に変わって行く状況やニーズの変化に、調査を通じて速やかに対応しようとしている細やかさには本領を感じます。

今後、仮設住宅とそこで生まれていく生活圏はどうなって行くのか、どういう展望をもって活動していくのか期待されます。





3)失われた街プロジェクト・大沢みらい集会/神戸大学大学院槻橋研究室 友渕貴之さん

被災地の街を模型で復元していく「失われた街」プロジェクトから、高台移転の計画に提案を行っている「大沢みらい集会」までの流れをうかがいました。

震災が起こった直後に友渕さんは槻橋研究室として、鹿折に入って活動をはじめました。しかし津波によって損害を受ける「以前」の状態がわからず、なかなかにとりつくシマがない状態だったそうです。それでも、この土地で新しいまちを作っていかなくてはならないなかで、逆に何を失ったかを形にして認識し、それを 復興への一歩目とすることを目的に、壊れてしまった街を模型として復元していく「失われた街プロジェクト」が始まりました。地域の地形を巨大な模型として復元し、東京都現代美術館で展示(現在も順次展覧会が催されています)します。また、気仙沼地域で行ったワークショップでは、復元した白模型に色をつけた り、添景を加えて行きながら、模型の制作過程が記憶の再生を促すようして、色とりどりの旗に思い出や地域の情報を書き込んでもらいました。その情報を元に、地図にそれを落とし込んでいまとめていきました。

白いボリュームだった模型が、思い出の書いた旗によって彩られていくのは、見た目にも楽しさ が伝わってきました。人の記憶はきっと、頭の中以外にも、ものの中にも存在します。あいまいで何となく覚えていることが、メモを見ることでスイッチが入っ たように思い出されてくることがあるように、もうそこにないものが模型として現れたことで、壊れてしまった風景に宿っていた記憶が徐かに思い出されてくる —そんな躍動感が、色とりどりに踊る旗の中に感じられました。街はそういう記憶の集積装置でもあり、街の本質的な力の一面を感じさせる模型や地図でした。



そういう活動をするうちに、大沢の高台移転が持ち上がり、神戸大の槻橋研、横浜市立大学の鈴木研、東北芸術大学福屋研とともにプロジェクトを進めている。プ ロジェクトではアンケートを実施して、地域のランドマークについて調査をし、移転の候補地決定に関わわってきた。現在は、高台の移転の計画に参画して提案を行い、地区別に複数案を提示し、住民の要望を引き出せるようなもの目指そうとしているそうです。

失われた街のワークショップやアンケートを通じて見えてきたものが、新しい移転の土地での計画案とどのような関連性を持って行くのか、また、建築の大学として関与している大きな移転計画として今後どのように展開していくのか、注目していきたい。



4)庭JAPAN/古川乾提さん

古川さんが活動されている庭JAPANは庭師を中心としながらも肩書きや職業は問わずに震災の活動に関心を寄せる人たちで構成されたボランティア活動のチームです。代表の古川さんにお話を伺いました。

震災が起きてからこの状況で自分たちに何かできるえなかった、というのが古川さんの率直な思いだったそうです。庭師は庭を手入れるのが仕事であり、その庭は まず、コミュニティがあってその先に実現するものという意識があったからでした。しかし、何ができるかわからないが、とにかく現地に入って活動をはじめて しまった。現地に入る際には、何でもできるように庭の造作で普段使っている道具や重機を持って行った。庭JAPANが重機を使えることが話題となり、様々 な活動のなかで信頼を得て呼ばれるようになっていったそうです。こうした活動を継続していけるように、現在は一週間でメンバーが入れかわる仕組みを作って いるとのこと。

活動をうかがう中で印象的だったのは、倒れた灯籠を修復したときのことでした。

津波で倒れてしまった灯籠が修復されるだけ で、その持ち主の人まで立ち上がる力が湧き出てくるそんな不思議な気持ちになっていくと古川さんはおっしゃっていました。失ったものがもとに戻っていく、 それは前に発表をいただいた「失われた街」のプロジェクトとも通底しています。津波で失われたと思ったものが自分の目の前で修復され、記憶が蘇っていく、 そうした喜びにあふれているだろうと思います。古川さんは庭を直すのはきっと順番が最後になると思っていたのに、最初に庭を直そうとする人が多いのに驚か れたそうです。その驚きの背後には、庭の灯籠や木々が元の通りになっていくと、建築やまちがまったく新しく立ち上がっていく力強さとは違った、自分たちが 立ち上がるための初めの小さな一歩として、小さくささやかであっても強かな希望が感じられる、ということがあるのかなと思います。

活動を続けていくなかで段々とボランティアをやっている感覚がなくなっていく、というお話もありました。津波でマイナス、ゼロ以下になってしまったものを、木を植え、ゼロに戻す。そうしたなかで被災した人たちが元気になり、自分たちも何かを得る。活動する上で資金もなくなりつつあるが、それでも続けるの は、希望がほんのちょっと生まれるその瞬間に立ち会いたいからなのだと思います。





庭を修復する以外にも、岐阜ので毎年行われる「こよみのよぶね」を石巻で開催した。

その際には、行燈をのせる船がなく、しかし、開催日だけは決まっていたので、船をカヌーで代用し開催に漕ぎつけた。

また仮設住宅に、竹垣を作ったりすることもしたそうです。

そうしたことから「何かがない」から何もできないのではない、自分たちの手で何かを変えていけるのだと確信したと言います。



最後に古川さんは自然のものを相手にしている実感から、

「木を植えることは未来を植えること。未来はわからないように、植えた木も、どのように育つかはわからない。思う通りには行かないこともある。そういう環境の 中で生きているのだから、その変化とつきあう。そのとき、そのときに向き合うことが大切」と力強くおっしゃっていました。

震災を経て災害を考えるとき、まず立ち返らなければならない原点だと思います。





■ディスカッション

ディスカッションにおいては以下のようなことについて質疑が行われました。

・支援の継続についてどのようなヴィジョンを持っているか

・個人で活動すること

・個人で活動していく人たちが繋がっていく場所があるのか

・ボトムアップの活動をしていて、その先に可能性はあるのか

・たとえトップダウンであったとしても、プロセスの共有で大きなものを動かせる可能性上がる

・ボトムアップでの問題は要求をそのままあげてしまうこと。それによって数が膨大になり内容の精査ができない

・提案から実現までの計画までを考えておくべき

・個人でボトムアップしていく活動と、トップダウンの仕組みがかみ合っていない

・ボトムアップと大きな都市計画をつなぐ役割が必要→本来は大学の役割

・大学はしかし、自分の「研究」になってしまい、役割を果たせない

・システムとは別にボトムアップの「熱」を大切に考えるべき

・自分でも「できる」ことを認識して取り戻すこと

・役所は変わらない、という失望感

・モデルというのには限界を感じる、熱を持った人、その人をサポートするような仕組みを

・AD cafeで一年たっても同じ議論をしているのは残念

・シャッフル、向こうとこちらの人を入れ替えられたらいいのではないか



○ディスカッションの中では、ボトムアップをしていく活動(庭JAPAN、わかめプロジェクト、会場に着ていたアサノコウタさんやADcafeスタッフのも りひろこさんの活動)にそのようなか可能性があるのかという質疑から、トップダウン的な構造を持つプロジェクト(チームVANさん)の話にうつり、それに ついて議論しているうちに、以前と同じ話になっている、というアサノさんの鋭いツッコミを浴びることになってしまいましたが、それでも、この問題を考え続けること に、私自身は価値があるように感じている。

というのは、これは被災地に限った問題ではなくて、現状の社会においてうまくいっていない部分についての問題でもあると思うからです。

ディスカッションを通じて、私はボトムアップとトップダウンには、そこになにか連続的ではない溝のようなものを感じています。理想的には、庭ジャパンの 方々やアサノ君たちが目指すように、一人一人が自分の身の周りのことを自分自身の手でで作り変えていくこと、その原理的な力強さには期待せずにはいられな いし、常にそういうことの先に社会と地域が見えてきてほしいと思う。

しかし、現実にはそうした力が芽生えたところでも、思いを実現するために ちょっと何かをカスタマイズしようとするだけで、「公共」「管理」「責任」や「前例」という言葉の前に、その芽がうまく育てられない状況にあるようです。 必要なところに必要なものが届けられること、それが行政としても重要なのはわかっているはずなのに、そうした活動に実験的に支援をすることは容易ではあり ません。市民の活動がボトムアップとして管理側に認められるには、活動の内容や集まり、自分たちとはどこか別にある「公共」という立場にたたなければならないように感じてしまいます。

だからこそ、何かスケールが大きくなることを「実現」するためには、首長に直接的に働きかけたほうが手っ取り早くまた力強く変えていけるのではないかと、 いうことになります。しかし、それは議論のなかでもあったように「圧倒的な個人の力量」に頼ることになり、市民が自分自身で変えていけるような自由さや力 強さはなく、汎用性のある実例には必ずしもなり得ないように感じます。

そこに横たわる溝のようなものをどのような形で埋めていくことができるのか、それは復興を歩む中で既存とは少し違った社会を、よりよく作っていくうえでとても大事なことだと思います。

今回の議論のなかでもそうしたうまくいっていない点が浮き彫りになって来ていましたし、大学などに可能性があるねではないかというアイデアもありました。

この問題は何度も別の形で立ち上がってくるように思うので、観測的にこの問題をとらえていくことが必要ではないでしょうか。



また、アサノさんのおっしゃっていた「人をシャッフルする」ことはこうした硬直した状況を動かすには有効なものだと感じました。能力を持った人々を入れ替え、新たなうねりを作り出していける可能性があります。

それはシステムとしてではなく、動きとしてそうなっていくとよいのではないか。



熱を持った個人と、それに賛同する人。それが少しづつ繋がっていくために、ADcafeのような場所が今後ともに続けていき、横のネットワークを広げて行くことが、これからも、そしてこれまで以上に重要なのではないでしょうか。



■終わりに

5月末に初めて被災地に入り、津波の被害を目の当たりにしました。

と同時に改めて三陸の海の美しさも知り、途方に暮れました。

被災地にすむひとたちが自分たちのまちを再生していこうとする強い意志も間近にしました。

今回発表いただいた方々の活動も、力強く進んで、被災地で笑顔を作り出しています。



こうした力強い意思が、実を結び、

穏やかな日々へと繋がっていくことを切に願ってやみません。

ありがとうございました。


阿部玄/JA設計

2012年6月19日火曜日

◇無事終了しました◇ADcafe.311 vol.06 2012.06.17◇



ADcafe.311 vol.06無事に終了しました!
発表者のみなさま、おこしいただいたみなさまどうもありがとうございました!
前回よりも会場が小さくなってしまったのですが、
それに反してこれまででいちばん多くの方々に来ていただくことができました。

プレゼンテーションのほうも、以前から継続的に発表しているものと、
これまでなかったような分野のものが両方あって大変充実していたように思います。
また、来場者の方々も毎回おこしいただいている方と今回はじめていらっしゃった方が
バランスよくいて、オープンな議論がくり広げられていました。

詳しい内容については後ほどブログの方にレポートを掲載する予定ですので、
しばらくおまちください。
また、次回は8月下旬~9月上旬を予定しています。


詳細が決まり次第また告知しますのでよろしくお願いします。

2012年6月10日日曜日

庭 JAPAN 古川乾堤さんプロフィール

ADcafe.311 vol.06でお話していただく古川乾堤さんのプロフィールです。


庭師 古川 乾提

m28e 有限会社 取締役親方
1972 年生まれ。愛知学院大学商学科卒業。在学中にヨーロッパを1年間放浪。卒業後、4年間の日本庭園修業、沖縄から東京までの徒歩・野宿旅を経て、
2001 年「m28e(エム ニジュウハチ イー)」設立。あなたの顔のように2つとない庭をつくりはじめる。2005年 1人1庭時代のかぶる庭「冠庭」でGEISAI#8の金賞受賞。2008年 Working Laboratory「つくる。」、2009年 「全日本庭サミット 庭JAPAN」設立。2011年東日本大震災復興支援プロジェクト「庭JAPAN」を立ち上げる。
古来より伝わる日本庭園の技術・文化を背骨にし、アート、空間装飾、インスタレーションなど多岐にわたる活動を続ける。

m28e ホームページ
つくる。ホームページ
全日本庭サミット 庭JAPAN
東日本大震災復興支援プロジェクト 庭JAPAN

[ 最近の活動実績 ]
2012
3月 愛知県日間賀島鎮守の森プロジェクト始動
3月 宮城県石巻市尾崎慰霊祭「竹あかり」作製
3月 岩手県大槌町「慰霊とうほくこよみのよぶね」作製・設営
3月 岐阜県岐阜市「慰霊とうほくこよみのよぶね」作製・設営
3月 東日本大震災復興支援プロジェクト「みらいをうえる」開始
2月 岐阜県中津川市「茶亭 市川」作庭
2月 愛知県一宮市「デザイン事務所 小倉や」作庭
1月 岐阜県「清流国体」リハーサル
1月 愛知県日間賀島「大漁旗の宿 吉文」作庭
2011
12月 岐阜県長良川「こよみのよぶね2011」設営
11月 東京都隅田川
「藝大・台東・墨田観光アートプロジェクト2011こよみのよぶね」設営
11月 宮城県旧北上川「3.11こよみのよぶね 岐阜から石巻へ」
11月 庭師専用スケジュール帳「庭師手帳」作製
10月 愛知県フラワー装飾技能士会2011「ゼロをつくるということ」講演
8月「東日本大震災復興支援プロジェクト 庭JAPAN」第2フェーズ活動
9月 愛知県岩倉市「ZIGSO FOR HAIR NATURA」作庭
7月 愛知県一宮市「第4回全日本庭サミット」開催
5月 岐阜県の冬のお祭り「こよみのよぶね」第6代リーダー就任
5月 愛知県一宮市「第3回全日本庭サミット」開催
4月 「東日本大震災復興支援プロジェクト 庭JAPAN」第1フェーズ活動
4月 愛知県一宮市「R-Pのカタチ」作庭
3月 庭師専用「庭師ワーキングパンツ」作製
2月 愛知県春日井市「だんだんとつくるしくみ」作庭
1月 愛知県名古屋市清風荘リノベーション「アシト、、プロジェクト」始動

[m28eの庭たち]
尾崎慰霊祭「竹あかり」



2012年5月22日火曜日

*【詳細決定しました!】ADcafe.311 vol.06 【2012.06.17(日)】*

◆ADcafe.311 vol.06を開催します◆
2012年第2弾、vol.06のゲストが決定しました!

今回も、前回同様3331 Arts Chiyodaにて、場所をお借りする予定です。

今回は、庭師を中心に集まり被災地で植樹などさまざまな活動をされている庭JAPANの古川乾提さんをお招きし、これまでの活動についてお話ししていただけることになりました!

南三陸わかめプロジェクトの相田麻実子さんには、マイクロファイナンスで南三陸町の漁師さんに漁具を提供するというお金の流れの明確なダイレクトな支援について話してもらう予定です。

そしてボランタリー・アーキテクツ・ネットワーク(VAN)の宮幸茂さんには、女川町を対象として仮設住宅に住む方々に聞き取り調査をおこない、その結果をもとに住環境の改善を図る仮設住宅の住環境改善プロジェクトについてお話していただきます。

また、神戸大学院生の友渕貴之さんには、横浜市立大・鈴木研究室、神戸大槻橋研究室、東北芸工大・竹内研究室が中心となって取り組んでいる気仙沼市唐桑町大沢地区の高台移転・まちづくりについての住民とのワークショップ「大沢みらい集会」について話をしていただきます。

ランドスケープ、金融、建築それぞれの立場から興味深いお話が聞けるかと思います。

日にち:2012年06月17日(日)
時間:13:50開場 14:00開始 17:00終了予定
場所:3331 Arts Chiyoda わわプロジェクトルーム(予定)
〒101-0021 東京都千代田区外神田6丁目11-14


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参加費:無料
参加方法:adcafe.mail@gmail.comまで参加の旨と名前・連絡先をご連絡ください。


<program>
13:50 開場
14:00 スタート

14:10 南三陸わかめプロジェクト(相田麻実子さん)
14:30 女川町仮設住宅調査(VAN・宮幸茂さん)
14:45 大沢みらい集会(友渕貴之さん)
15:15 庭JAPANの活動について(古川乾提さん)

15:45 15分休憩

16:00 フリートーキング
16:50 お知らせ
17:00 クローズ

出席希望のご連絡、質問等は上記アドレスまでご連絡ください。

ADcafe staff

2012年2月17日金曜日

ADcafe.311 vol.05 レビュー

01.28に行われたADcafe.311 vol.05のレビューを掲載します。
今回のレビューは、青木健さん(PLAY)に書いていただきました。

各発表に対する詳細なレポートとなっておりますので、当日会場に来られなかった方も発表の内容をフォローしていただけるかと思います。
是非ご一読下さい。

******************************

1/28に行われたADcafe.311 vol.05のレビューです。
長くなってしまいましたが、是非皆さんに知っていただきたい内容なので読んで頂ければと思います。

ADcafe.311 vol.05では谷口景一朗さん(日建設計/ADcafeスタッフ)、笠井暁史さん(医師/石巻赤十字病院)、相澤久美さん(建築家/震災リゲイン)+高木伸哉さん(編集者/フリックスタジオ/震災リゲイン)の三組による発表の後、来場者とのディスカッションが行われました。場所は3331Arts Chiyoda。20~30名の方が集まりました。

一人目の発表者である谷口景一朗さんからは日建設設計の同僚の有志グループで取り組んでいる「Run & Escape Map(逃げ地図)」がどのようなきっかけで生まれたかという話から始まり、震災からの長期的な復興フェーズにおける活用の方法、現地自治体とのやりとりを踏まえた上での今後の展望が語られました。

日建設計は震災後、震災復興ボランティアチームを有志でたちあげ、2011年4月には「東北大学生の特別オープンデスク受け入れ」、4月17日は特別オープンデスクに参加した学生らにより被災エリアの震災前の統計データをまとめたリサーチの発表会を兼ねた「東日本大震災の復興について考える公開ブレインストーミング」、被災した気仙沼の高橋工業への「高橋工業募金」など震災復興への初期フェーズでの取り組みが行われました。2012年1月現在、長期フェーズに移行しているいくつかの日建震災復興ボランティアチームの取組みの一つである「Run & Escape Map」は、募金で集まったお金を高橋さん宅で手渡した際に被災地のリアルな話を聞いたのがきっかけとなり、ボランティアチームが調査を進め、被災地に何が役に立ちそうなものを仮説として立てるところから始められました。
今回の震災による津波被害の大きさは1000年に一度といわれるほど甚大なものでしたが、歴史的には30年に一度程度の頻度で津波の被害を受けている地域であることが記録からわかります。明治三陸沖地震で発生した津波によって被害を受けた後、高台移転を含めた大規模な復興が行われましたが、時が経つにつれ海抜の低いエリアへ居住地が徐々に広がり、そのようなエリアが今回の津波でも大きな被害を受けたことがわかります。過去に何度も津波の被害を受けているエリアであるため、過去の津波被害を伝える碑や、文章としての記録、人々の記憶として受け継がれている部分もありますが、時が経つにつれ風化してしまい、教訓が生かされず被害を繰り返し受けてしまっているという現実があります。
このような経緯を踏まえ、「Run & Escape Map」は地域の安全・危険レベルを地図上に可視化することで人命救助に対しより効果的な復興案をハードとして整備するためのツールとして考案されています。具体的には、過去の浸水エリアを地図上にレイヤー状に重ね、安全標高以上の地域をゼロ次避難地域として設定し(住民との話し合いのうえ合意を得ながら)、既存の道路を通って避難ポイントに徒歩43m/分(高齢者の歩行スピード)で到達できる時間に応じて(五分刻み)色分けがされています。「Run & Escape Map」は地域の津波リスクをあまりにもはっきり可視化してしまうという指摘もあったようですが、スーパー堤防を築く案、避難のためのバイパス道路整備案、近道整備案、避難タワー建設案、丘造成案、高台移転案などさまざまな選択肢がある都市計画レベルの復興プランを、それぞれの整備に要する予算、期間に加え、津波による人命被害をどのくらい効果的に抑えられるかという視点から評価を行い、修正、比較検討をすることができます。さらにそれぞれの復興プランの作成過程においても、どこに避難バイパス、近道、高避難タワーを整備するのが効果的かを検討したり、高台避難検討する際に集会所を避難経路上に移転させたり、移転を段階的に行う優先順位を津波被害のリスクが高いところから進めるなど、さまざまなフェーズでその効果を可視化することのできる「Run & Escape Map」を用いることで、住民、行政、専門家の三方に対し開かれた状態でよりきめ細かなプランを作成することが可能になります。これらの手法によって津波が発生した時に避難しやすい街のハードを整備するとともに、谷口さんが何度も念を押されていたように、避難意識を高める訓練、伝承、教育などソフトの部分を同時に充実、連携させ、地域の人々の生活の一部として津波対策を組み込むことが、津波で破壊された街の未来を考えるときに不可欠であるということを考えさせられました。また、建築教育を受けた者たちが都市設計の初期段階からかかわっていくことの大切さ、有効さを彼らの行動力、責任感、誠実さから実例を持って伝えていただきました。
「Run & Escape Map」通称「逃げ地図」は現在も現地自治体、住民とやり取りをしながらのその可能性を探る取組みが継続的に行われているようです。3月にはいくつかの会場で公開展示され、さらにその作成をコンピュータを用いて自動化することで広範囲、多箇所で行い、津波以外の災害リスクの評価も加えるなどして、東日本大震災の被災地での復興施策のデータベース、都市部(東京など)での都市計画のベースマップとする「逃げ地図2.0」として展開させていくことになっているそうです。興味がある方は是非問い合わせてみてください。http://www.ozone.co.jp/event_seminar/event/detail/1275.html

二人目は石巻赤十字病院で腎臓内科医として勤務されている笠井暁史さんです。自らも被災した職員が多く働く被災地の拠点病院が、地震が発生した直後からどのように機能したのかを病院のハード、ソフト双方の視点から発表していただきました。
一枚目のスライドに4/3に震災後初めて休みをとって被災地を回られた時に笠井さん自身で撮られた写真を写し、「これは現実なのか?と思った」、と淡々と語り始められました。映像では繰り返し見ていた被災地にはヘドロを腐らせたような匂いが充満し、トラックや重機の音だけが響く独特の静けさが広がっていたそうです。壊滅的な被害を受けた地域を回られるなかで目の当たりにした津波に飲み込まれた大川小学校では屋上にまで津波が到達し、多くの方がお亡くなりになったそうです。そこで笠井さんが語られたのは感傷的な言葉ではなく、なぜここで多くの方がなくならなければいけなかったのか、どうすれば命を救うことができたのかという、人の命と常に隣り合わせで接している医師としての言葉でした。笠井さんは、同様な規模、地理的条件でありながら、事前の非常通路の設置、ストップウォッチを用いた避難訓練を実施していたことで人的被害をゼロに抑えることができた越喜来小学校の例と比較分析し、「備えがいかに大切か」という発表のテーマへとつなげていきます。
仙台から車、JRで一時間のところに位置する人口15万人程度の石巻市を中心とした石巻医療圏に1つだけある拠点病院の石巻赤十字病院で笠井さんは働いておられます。石巻医療圏にはいくつかの公立病院がありますが、そのほとんどが沿岸部に位置していたため、東日本大震災による津波によってそのすべてが機能しなくなくなり、石巻医療圏21万人の唯一の災害拠点病院として多くの人が石巻赤十字病院に押し寄せることになりました。
石巻赤十字病院は病床数402、医師100名、看護師450名の石巻医療圏で最大の病院で、2006年に現在の場所に新築移転されました。宮城県沖の地震が想定されさまざまな対策が建物の設計段階からとられています。津波の被害も想定されていたため内陸部の東北自動車道に隣接した水田エリアを敷地とし、すぐ近くを流れる旧北上川の増水に備え敷地全体の土盛りが行われました。ハードの対策としては免震構造にし、さらに二重化電源、非常用発電機の設置、二系統水道の設置、貯水、患者用非常食の備蓄などの非常用インフラ対策が行われていました。ソフトでは、大規模な災害実働訓練を自衛隊、消防署と合同で何度も行うなど、災害拠点病院として万全な対策に取り組まれていました。
対策としては万全な取り組みを行っていた石巻赤十字病院が実際にどう機能したかを、震災が起こった当日の様子を記録した10分程度の動画(http://www.youtube.com/watch?v=Pc1ZO7YwcWc)を交え説明していただきました。免震構造であるため、かなり揺れがあるように見えるのですが、建物としての被害はほとんどなかったとのことです。発生後10分もしないうちに訓練通りに対策本部が立てられ、委託職員も訓練を受けていたため職員と協力して手際よく、トリアージに向けて作業が行われたことがわかります。トリアージとは、「人材・資源の制約の著しい災害http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%BD%E5%AE%B3%E5%8C%BB%E7%99%82において、最善の救命効果を得るために、多数の傷病者を重症度と緊急性によって分別し、治療の優先度を決定すること」で、外来待ち合室のイスなど配置を変更することで大量に押し寄せる患者に対応できるように計画されています。トリアージの他にも、酸素吸引を必要とする患者のためのスペース、薬だけを必要とする患者のための薬の処方外来受付、臨時病床など災害時に応急で対応できるように病院は設計されており、事前に行われていたシミュレーションどおりに使われたそうです。しかし、中には医療を必要としないが家が全壊・半壊しまったために病院を避難所として使ってしまう人が増えるなど病院の医療機能に支障をきたすような事態になってしまったため、苦肉の策として食事を一切与えなどの対策をとることで、避難所への人の誘導が行われました。避難所までの移動手段がないことも避難者がとどまってしまう理由であったので、病院が経費を自己負担する形でバスをチャーターしたそうです。一見厳しいようにも見えますが、病院として最優先である医療を途切れさせないための対策がとられました。
病院がその機能を維持するためにはライフラインの少しでも早い復旧・維持が必要となります。笠井さんが専門とされている透析治療では特に大量のリソースを必要とします。透析は腎臓を悪くすると命をつなぐために、週三回一生、続けなければいけません。一回の透析に水18リットル/人、3~4kw/人・時、必要で60床ある石巻赤十字病院では大量の水と電力と透析専用の特殊な器具が必要となります。災害時の透析医療は富士山の山頂で治療を行うようなものだと笠井さんは仰います。しかし、どのような状況であろうと透析をしなれば患者は命を落としてしまうことになります。津波によって生活基盤を失った多くの透析患者に対し透析を行うことが笠井さんたち透析医療者の急務でした。通信手段が限られているなかで、透析を必要とする患者の所在地を把握し、通院のための透析臨時バスをチャーターするなどの対策がとられ少なくない数の人たちの命が救われました。
院内のライフラインの電気・水道・ガスのうち電気・水道は自前の発電装置や貯水によって早い段階で復旧が行われましたが、低体温症の治療などに必要なお湯を沸かしたり、暖房を行うためのガスの復旧には時間がかかり自家発電による電気を使って代替措置がとられました。EVは機能的にはすぐにでも使用可能であったにもかかわらず、法律的問題で再稼働の前に点検が必要で、石巻のEV業者が軒並み被災したために東京からの業者を待つことになり復旧に数日を要しました。震災直後から大量に押し寄せた患者の搬送や、職員、物資の移動にEVを使えないなど大変な苦労があったようです。患者、職員への食事供給は、食材の供給が制限されていたために、配給制となり、一日の食事がおにぎり1つとイチゴ2つというような日が一週間続いたそうです。通信手段である固定電話・携帯・インターネットは数日から一週間程度使えず、衛星電話や石巻防災無線などにより外部との連絡は取れる状態ではありましたが、その利用はごく限られたもので、一般の方は自分や家族の安否を伝えることも救助要請も行えないような状態で、その対策が考慮されるべき点として指摘されました。
透析医療がこのような過酷な状況で破たんすることなく乗り切れたのは、以前から透析ネットワークをつくっていたことが大きいと要因であったそうです。近隣の6施設と透析ネットワークを2007年に立ち上げ、定期的に行われる会合通して医師や技師たちの間で直接コミュニケーションが図られていました。他の医師や技師たちがどのような人間で、何ができるかということをお互いに把握できたことで、震災後すぐに応援の医師たちが駆けつけたちあげた透析の災害対策本部がスムースに機能し、普段は60床で透析患者に対応している石巻赤十字病院で倍の120床での透析をなんとか行うことができたそうです。つまり、自助に加え、共助がうまく機能したことが未曾有の事態を乗り切れた大きな要因であったと笠井さんは語ります。東日本大震災のような大規模な災害が起きた時場合、自治体や国などによる「公助」が届くには数日から一週間程度かかってしまい、直後は「自助」による対応、つまり自立的な判断と行動が必要となります。半日から一日経つと「共助」、つまり自助を連携し「地域力」として事態に対応することが求められます。そのためには日ごろから想定のハードルを下げ想定の範囲を広げできる範囲で備えをし、想定外の事態が起きた時には思考過程・行動基準の標準化によって臨機応変に対応することが有効であると、伝えていただきました。
さらに結びとして重要な問題提起をされました。津波から逃げることができないのは、高齢者や子供や障害をもった人たちだと考えられがちですが、寝たきりの親をもった家族や、保育所の先生、防災関係者、そして医療に携わる医療関係者はたとえ津波が来るとわかっていてもサポートを必要とする患者や家族、児童をおいて逃げることができない、と。石巻市立雄勝病院では事務職員6名は無事助かりましたが、医師2名、看護師24名、患者40名の方々が津波にのまれ亡くなるということが実際に起きました。私たちは私たちの命を救ってくれる方々がこのような境遇にある事実を知り、自分たちの問題として、そのような職務に就く方がどうしたら命を落とさなくても済むのかという方法を考えなければいけません。
「情けは人の為ならず 我人の為辛ければ、必ず身に報うけり」。これは笠井さんの最後のスライドの一文です。情けは人の為ではなく、善い行いはめぐりにめぐっていずれは自分に還ってくるんだよ、という意味の言葉ですが、笠井さんはさらにそのような行いをすること自体が自分を鍛え、成長させていくことなんだと、それぞれの活動を行っている人たちへエールを送り、発表を終えられました。

三組目は建築家の相澤久美さん、編集者の高木伸哉さんに「震災リゲイン」http://shinsairegain.jp/を中心とした「支援者たちを支援する」ための数々の取り組みを発表して頂きました。
同じ建物の中でそれぞれの仕事をされていたお二人が、震災後、自分たちに何かできることがあるのではないかと話をして、情報を編集するための震災情報メディアを4/1に立ち上げられました。震災後、各地で様々な支援活動がすでに行われているような状況で、相澤さんと高木さんはそのような状況に対し、自分たちができることはそのようなさまざまな活動、取組みを見える環境として可視化し、必要なところに必要なものを届け、人と人の活動をつなげていくようなメディアをつくることなのではないかという考えに至ったそうです。 現在ではWeb震災情報メディアとしての「震災リゲイン」の他にも、紙メディアとしてフリーペーパーを発行したり、人と人の間に入って活動を支援する「つなぐプロジェクト」、さまざまな活動を行っている人たちへの取材、その他直接ボランティアを行うなど、多岐にわたる活動を精力的に展開されています。
「震災リゲイン」のホームページの詳しい説明を高木さんにしていただきました。「震災リゲイン」はトップページに「被災地の救援」「復興の提案」「情報の伝達」の3つのカテゴリーが並列されているのが特徴です。多方面での様々な団体の活動が一覧できるようになっており、一目でどれくらいの数の団体がどのようなことを行っているのかがわかるようになっています。それぞれの団体HPへのリンクを集め、個別のページへのリンクをたどることでより詳しい情報にアクセスすることができるプラットフォームのようなウェブサイトになっています。掲載する情報が全方向的でかなりの数であるため、その情報をどのように整理し、可視化するかという試行錯誤が繰り返し続けられているそうです。具体的には、現在トピック別に掲載されている情報を、他分野の活動との関係性を可視化できるようにMAP化したものがあり、試作段階のものを見せていただきました。被災した一つの街をとってみても、実にたくさんの団体、人が復興にむけて活動を行っています。民間企業やNPO団体、政治家や、ボランティアグループ、建築家、地元自治体、大学、などそれぞれの活動がどのような分野で、どのような活動を行っているか、またそれが外部団体なのか、地元団体であるのかなどがわかりやすく、実際に活用しやすいようにデザインされています。他にもTOPICSという欄には震災関係で活動している人に取材にいってその内容がレポートとして掲載、更新が続けられています。このようにさまざまな復興活動を集め1つのウェブサイトにアーカイブとして残していくことは、現在の支援者の支援に役立てられるだけではなく、今後また別の震災などの大規模な災害が起きた時に、どのような活動が必要で、どこがそのようなノウハウや、情報を持っているかを伝えることにつながると相澤さんが付け加えます。
 次に、広報誌のフリーペーパーの説明を編集長である高木さんに続いてしていただきました。ウェブにアクセスしない方にも震災の情報を届けようと紙媒体としてフリーペーパーが発行されました。広報誌10万部を新聞社の協力得て折り込み広告にいれてもらうことでお茶の間まで情報を届けようという試みです。「震災リゲイン」のウェブページのTOPICSの内容が記事として掲載されています。ユニークなのはそれぞれの記事の最後に「買う・寄付・参加」などのアイコンがついていて、積極的に現地に行くことはできないが、何か現地の支援を行いたいと思っているような人たちが気軽に支援を行えるようなきっかけを提供できるようにデザインされていることです。被災地の産品を買える通販をするための方法や、ボランティア受付窓口の連絡先が記載されています。
 続いて相澤さんから「つなぐプロジェクト」についてお話しいただきました。 「つなぐプロジェクト」はその名の通り、何か具体的に活動したいという人と、その時に必要となる物や、場所を提供できる人を直接つないでいこうというプロジェクトです。ADcafe スタッフのもりひろこさんの「tanaproject」はその例の一つです。ラ・ケヤキという場所で相澤さんが行った震災関係の活動報告会でもりさんが手を上げ企画段階の「tanaproject」の支援を呼びかけたことがきっかけとなりプロジェクトがスタートしました。いろんな企業や、材料、人など「tanaproject」を進めていく中で必要と思われるもので足りていないものを、相澤さんが紹介、プロデュースしていくかたちで実現までこじつけ、2012年一月現在までに計8回、東北各地、東京でワークショップが行われました。「つなぐプロジェクト」ではこのような支援者の支援活動を数多く行われています。他には、仙台在住の若手監督二人による映画「なみのおと」の配給協力、日常を失ってしまった被災地の方に対話の場をつくりだすことを目的とした「対話工房」、塩害をうけた田んぼの土をつかって家や倉庫をつくる「土プロジェクト」、仮の敷地に暫定的にしか仮設物を設置できない女川に可動式の宿泊施設をつくる「モバイル・スマイル」プロジェクト、他詳細は省かせていただきますが、「網戸設置プロジェクト」「放射能測定検査プロジェクト」「ハイタイド文具配布プロジェクト」、「東北キャラバンプロジェクト」など幾多のプロジェクトの広報・プロモーション、活動資金の調達、マネージメントなど、支援を実現するための活動をされています。
まだまだ話すことはいくらでもあるよ、という顔の相澤さん。会場は二人の行動力、実行力、瞬発力に圧倒されっぱなしでしたが、このように「震災リゲイン」ではネットワーク上で、「つなぐプロジェクト」では体を張って直接人と人をリンクさせる試みが続けていきますと、高木さんに発表をまとめていただき三組の発表が終了しました。

以上三組の方々の発表のレビューになります。
以下、簡単に個人的な感想を書かせていただきます。みなさんの精力的で、献身的で継続的な活動の数々に圧倒され、同時に自分にできることは何かと考えさせられました。震災からもうすぐで一年が経ちます。この一年でいろいろなことが変わりました。震災を機に始めた活動の延長で勤めていた会社を辞めた人、社内のメンバーで毎週のように集まって自分たちにできることは何かと議論をし、現地に通う若い友人たち、被災地に引っ越した人、実家に戻った人、結婚した人、父親母親になった人、政治家になった人、文章を書いて新しい社会を描こうとする人。この国には人がいます。震災は多くのものを奪い、破壊しました。しかし、同時に以前はなかったものたちが生まれました。この人たちがいる限り私たちの社会はプラスに開かれているはずです。支援が被災者に行き届き、被災者の方たちが日常を取り戻せる日が来ることを願っています。 

青木健 / PLAY

2012年1月14日土曜日

*【詳細決定しました!】ADcafe.311 vol.05 【2012.01.28(土)】*

◆ADcafe.311 vol.05を開催します◆

みなさま、明けましておめでとうございます。
今年もADcafeは引き続き、2-3ヶ月に1回のペースで、建築とそのまわりの分野の支援の情報共有の場として開催していく予定ですので、よろしくお願いいたします。

2012年第1弾、vol.05の開催が決定しました!

今回も、前回同様3331 Arts Chiyodaにて、場所をお借りします。

vol.05では、震災直後から広範囲にわたって活動を展開されてきた建築家の相澤久美さん、編集者の高木伸哉さんをお招きし、震災情報専用メディア「震災リゲイン」についてお話いただくこととなりました!

また、石巻赤十字病院に勤務されている医師・笠井暁史さんからは、震災当日、現場で何が起きていたのか、生の体験談をお話しいただきます。

ADcafe.311 staffである谷口景一朗からは、被災地の地形図に各種リスクを重ね合わせることよって、復興のベースマップとする「避難地形時間地図(通称:逃げ地図)」の取り組みについてお話をさせていただきます。

日にち:2012年06月17日()
時間:13:50開場 14:00開始 17:00終了予定
場所:3331 Arts Chiyoda
〒101-0021 東京都千代田区外神田6丁目11-14


大きな地図で見る

参加費:無料
参加方法:adcafe.mail@gmail.comまで参加の旨と名前・連絡先をご連絡ください。

【発表してくださるみなさん◆決定しました】

<program>
13:50 開場
14:00 スタート
14:10 谷口景一朗+日建設計震災復興ボランティアチーム
  「避難地形時間地図(通称:逃げ地図)の取り組みについて」
14:40 笠井暁史(石巻赤十字病院)
  「震災後の石巻赤十字病院」
15:00 休憩
15:20 相澤久美(ライフアンドシェルター社)+高木伸哉(フリックスタジオ)
  「震災リゲインについて(仮)」 
16:00 フリートーキング
16:50 お知らせ
17:00 クローズ

出席希望のご連絡、質問等は上記アドレスまでご連絡ください。

ADcafe staff