01.28に行われたADcafe.311 vol.06のレビューを掲載します。
今回のレビューは、阿部玄さん(JA設計)に書いていただきました。
前回の青木くんによるレポートに負けず劣らず、ボリューム満載のレポートとなっておりますので、是非ご一読下さい。
******************************
ADcafe vol.6 は
・三陸わかめプロジェクト/相田麻実子さん
・女川仮設住宅と仮設住宅の現状調査/VAN(Voluntary Architects Network) 宮幸茂さん
・失われた街プロジェクト・大沢みらい集会/神戸大学大学院槻橋研究室 友渕貴之さん
・庭JAPAN/古川乾提さん
にお話を伺いました。
今回は震災関係のプロジェクトの分類(2011.9.8 中木さんの分類)にしたがうと
1)避難所の居住性・仮設に関すること
*女川仮設住宅と仮設住宅の現状調査/VAN(Voluntary Architects Network) 宮幸茂さん
2)本設の復興計画
*われた街プロジェクト・大沢みらい集会/神戸大学大学院槻橋研究室 友渕貴之さん
3)ファイナンスによる事業の支援
*三陸わかめプロジェクト/相田麻実子さん
4)具体的なボランティア活動
*庭JAPAN/古川乾提さん
のように分類できるかと思います。
今回はの金融の面での事業支援や庭師を中心として活動する方からの報告など新しい内容や、大学を中心とした活動、継続的な活動報告をいただいているものなど、多彩な内容になりました。
1)南三陸わかめプロジェクト/相田麻実子さん
森ビルの相田麻実子さんが、南三陸ののわかめ漁師のちょうさんを支援するために始めたプロジェクトです。
津波によって、わかめを養殖するための特殊なロープが流されてしまい、養殖ができなくなってしまったちょうさんのために、マイクロファイナンスの手法を使って支援しようとするものです。
具体的な事業スキームは、
1)インターネットで一口1500円ほどの出資を募る
2)その集めたお金でちょうさんにわかめの養殖するためのロープを購入する
3)ちょうさんはそのロープを使ってワカメをつくり、出資者にわかめを返す
(マイクロファイナンス事業とは、このようなインターネットを通じて、少額の融資を募ってお金をあつめる手法のことです)
わかめプロジェクトのファンドが被災地で行われる事業と大きく異なる特徴として、出資者と出資を受けるひととの損得がほぼイーブンであることです。通常の ファイナンス事業であれば出資者にリターンが多くなるように運用しますし、また支援の場合は多くは寄付として受けるひとに利益が多くなるようになっていま す。
そうして集めた資金でただ養殖用のロープを届けてしまうのではなく、出資者とちょうさんをつなぐ取り組みを行っていきます。
1/ウェブサイトの立ち上げ
2/ワカメのプロモーション(試食会など)
3/わかめの養殖体験
などを企画実施して、わかめのファンを増やしていったそうです。
そうした活動のなかで、気づいたことととして、
<1>支援を受ける人との信頼関係
<2>わかめの魅力を伝えて、共感を得ること
<3>漁師のいる浜全体を支援する仕組みを作ること
をあげられていました。
<1>についてはもちろん大切な前提条件ですが、事業を続ける中で困難な状況になったこともあったそうです。
それは、ちょうさんが支援に対して生産したワカメで返すのに難色を示したことでした。ちょうさんには、ロープを寄付してくれれば、わかめを返すような責任がないのにどうして!という気持ちがあったことが原因だったようです。
この問題については、相田さんも支援の形として悩まれた点だそうです。寄付という形であれば、何か返す責任もなく漁を始められますし、被災したちょうさんに とってはいいことかもしれません。しかし、そうなると支援者との関係がそのまま途切れてしまいます。マイクロファイナンス事業により資金を集めれば、そこにワカメのリターンという責任ができるけれど、その責任から新しいお客さんとのつながりがうまれ、ちょうさんの今後にも繋がっていく。相田さんは後者を選 んだわけですが、その課程には粘り強く対話して、信頼関係を構築することが欠かせなかったと思います。
<2>は事業がすすみはじめて、多くの支援者の共感を得てそれが広がっていく過程は、何にもかえがたく愉しい時間だったのではないかと思いました。わかめ養殖体験で、講師として指導するちょうさんの笑顔が印象にのこります。
<3> 事業は特定の個人を支援するプロジェクトとしてはじまったのですが、それが軌道に乗ると、地域に広がりを持っていくことになりました。漁師は、個人として だけでなく、地域のなかのひとりとしても存在しているから、漁師が属するコミュニティーを対象にしくみを広げていく必要があり、今度は南三陸のわかめ漁師 を支援するプロジェクトへ変わって行ったそうです。
今後はファンドとしては一旦役割を終え、わかめのブランディングをして継続的な支援を目指しているそうです。
2)女川仮設住宅と仮設住宅の現状調査/VAN(Voluntary Architects Network) 宮幸茂さん
震災以後の活動は以前に、避難所での紙管の区切りや仮説住宅の設置について発表していただいています。
詳細についてはVol.4の小池さんのレビューも参考になさってください。
今回はコンテナを使った仮設住宅のその後について発表をいただきました。
現在、女川で建設されている仮設住宅は次の三種類あるそうです
1)プレハブメーカー;壁の断熱なし、収納なし
2)ハウスメーカー:壁の断熱あり、収納なし
3)VANのコンテナ仮設住宅;壁の断熱あり、収納あり
VANで担当された仮設住宅は、他の仮設住宅の現状調査を反映して設計しているために、逆に周囲との格差ができてしまっている現状が浮かび上がっています。中には女川ヒルズという揶揄のされ方をしているほどだそうです。そうした格差に対応するために、周辺の仮設住宅の現状調査をはじめたそうです。この現状調査では、実際の状況を確かめて、問題がどこにあるのかを把握することを目的として行っています。調査では、仮設住宅の人たちの現状を聞くのが中心でした。(調 査とはいいながらお菓子や果物をもらって長居してしまったり、その結果、一つの住居に時間がかかりすぎて予定通り回れなかったり、といったほほえましいような一幕も)調査の結果、仮設住宅の中では、まだまだ収納が足りない現状が見えてきたそうです。
しかし、こうして見えてきた問題に対して、どういった対応のレベルで対応していくのがよいのでしょうか。
1/個々に対応する問題
2/団地ごと、あるいはメーカーごとに対応する
3/仮設住宅一律に対応する問題
今現在、収納が足りないという問題は、果たしてその問題に直接に対応するべきものなのか、それとも、仮設だからある程度我慢してもいい問題なのか。仮設住宅といういつかはなくなるものに対して、収納の問題をどのように対処すべきなのか、検討しているそうです。
また、調査を通じてもうひとつ浮かび上がってきたのは、生活圏の問題です。仮設ながらも長く住まなくてはならないことがわかって来ており、仮設の供給だけで はなく、カフェや居酒屋などのコミュニケーションのための場が必要とされ始めています。これに対しては仮設住宅の広場として作られたものがオープニング以 来使われていないので、それを活用していくことで対応していくことになるそうです。
被災地で次々に変わって行く状況やニーズの変化に、調査を通じて速やかに対応しようとしている細やかさには本領を感じます。
今後、仮設住宅とそこで生まれていく生活圏はどうなって行くのか、どういう展望をもって活動していくのか期待されます。
3)失われた街プロジェクト・大沢みらい集会/神戸大学大学院槻橋研究室 友渕貴之さん
被災地の街を模型で復元していく「失われた街」プロジェクトから、高台移転の計画に提案を行っている「大沢みらい集会」までの流れをうかがいました。
震災が起こった直後に友渕さんは槻橋研究室として、鹿折に入って活動をはじめました。しかし津波によって損害を受ける「以前」の状態がわからず、なかなかにとりつくシマがない状態だったそうです。それでも、この土地で新しいまちを作っていかなくてはならないなかで、逆に何を失ったかを形にして認識し、それを 復興への一歩目とすることを目的に、壊れてしまった街を模型として復元していく「失われた街プロジェクト」が始まりました。地域の地形を巨大な模型として復元し、東京都現代美術館で展示(現在も順次展覧会が催されています)します。また、気仙沼地域で行ったワークショップでは、復元した白模型に色をつけた り、添景を加えて行きながら、模型の制作過程が記憶の再生を促すようして、色とりどりの旗に思い出や地域の情報を書き込んでもらいました。その情報を元に、地図にそれを落とし込んでいまとめていきました。
白いボリュームだった模型が、思い出の書いた旗によって彩られていくのは、見た目にも楽しさ が伝わってきました。人の記憶はきっと、頭の中以外にも、ものの中にも存在します。あいまいで何となく覚えていることが、メモを見ることでスイッチが入っ たように思い出されてくることがあるように、もうそこにないものが模型として現れたことで、壊れてしまった風景に宿っていた記憶が徐かに思い出されてくる —そんな躍動感が、色とりどりに踊る旗の中に感じられました。街はそういう記憶の集積装置でもあり、街の本質的な力の一面を感じさせる模型や地図でした。
そういう活動をするうちに、大沢の高台移転が持ち上がり、神戸大の槻橋研、横浜市立大学の鈴木研、東北芸術大学福屋研とともにプロジェクトを進めている。プ ロジェクトではアンケートを実施して、地域のランドマークについて調査をし、移転の候補地決定に関わわってきた。現在は、高台の移転の計画に参画して提案を行い、地区別に複数案を提示し、住民の要望を引き出せるようなもの目指そうとしているそうです。
失われた街のワークショップやアンケートを通じて見えてきたものが、新しい移転の土地での計画案とどのような関連性を持って行くのか、また、建築の大学として関与している大きな移転計画として今後どのように展開していくのか、注目していきたい。
4)庭JAPAN/古川乾提さん
古川さんが活動されている庭JAPANは庭師を中心としながらも肩書きや職業は問わずに震災の活動に関心を寄せる人たちで構成されたボランティア活動のチームです。代表の古川さんにお話を伺いました。
震災が起きてからこの状況で自分たちに何かできるえなかった、というのが古川さんの率直な思いだったそうです。庭師は庭を手入れるのが仕事であり、その庭は まず、コミュニティがあってその先に実現するものという意識があったからでした。しかし、何ができるかわからないが、とにかく現地に入って活動をはじめて しまった。現地に入る際には、何でもできるように庭の造作で普段使っている道具や重機を持って行った。庭JAPANが重機を使えることが話題となり、様々 な活動のなかで信頼を得て呼ばれるようになっていったそうです。こうした活動を継続していけるように、現在は一週間でメンバーが入れかわる仕組みを作って いるとのこと。
活動をうかがう中で印象的だったのは、倒れた灯籠を修復したときのことでした。
津波で倒れてしまった灯籠が修復されるだけ で、その持ち主の人まで立ち上がる力が湧き出てくるそんな不思議な気持ちになっていくと古川さんはおっしゃっていました。失ったものがもとに戻っていく、 それは前に発表をいただいた「失われた街」のプロジェクトとも通底しています。津波で失われたと思ったものが自分の目の前で修復され、記憶が蘇っていく、 そうした喜びにあふれているだろうと思います。古川さんは庭を直すのはきっと順番が最後になると思っていたのに、最初に庭を直そうとする人が多いのに驚か れたそうです。その驚きの背後には、庭の灯籠や木々が元の通りになっていくと、建築やまちがまったく新しく立ち上がっていく力強さとは違った、自分たちが 立ち上がるための初めの小さな一歩として、小さくささやかであっても強かな希望が感じられる、ということがあるのかなと思います。
活動を続けていくなかで段々とボランティアをやっている感覚がなくなっていく、というお話もありました。津波でマイナス、ゼロ以下になってしまったものを、木を植え、ゼロに戻す。そうしたなかで被災した人たちが元気になり、自分たちも何かを得る。活動する上で資金もなくなりつつあるが、それでも続けるの は、希望がほんのちょっと生まれるその瞬間に立ち会いたいからなのだと思います。
庭を修復する以外にも、岐阜ので毎年行われる「こよみのよぶね」を石巻で開催した。
その際には、行燈をのせる船がなく、しかし、開催日だけは決まっていたので、船をカヌーで代用し開催に漕ぎつけた。
また仮設住宅に、竹垣を作ったりすることもしたそうです。
そうしたことから「何かがない」から何もできないのではない、自分たちの手で何かを変えていけるのだと確信したと言います。
最後に古川さんは自然のものを相手にしている実感から、
「木を植えることは未来を植えること。未来はわからないように、植えた木も、どのように育つかはわからない。思う通りには行かないこともある。そういう環境の 中で生きているのだから、その変化とつきあう。そのとき、そのときに向き合うことが大切」と力強くおっしゃっていました。
震災を経て災害を考えるとき、まず立ち返らなければならない原点だと思います。
■ディスカッション
ディスカッションにおいては以下のようなことについて質疑が行われました。
・支援の継続についてどのようなヴィジョンを持っているか
・個人で活動すること
・個人で活動していく人たちが繋がっていく場所があるのか
・ボトムアップの活動をしていて、その先に可能性はあるのか
・たとえトップダウンであったとしても、プロセスの共有で大きなものを動かせる可能性上がる
・ボトムアップでの問題は要求をそのままあげてしまうこと。それによって数が膨大になり内容の精査ができない
・提案から実現までの計画までを考えておくべき
・個人でボトムアップしていく活動と、トップダウンの仕組みがかみ合っていない
・ボトムアップと大きな都市計画をつなぐ役割が必要→本来は大学の役割
・大学はしかし、自分の「研究」になってしまい、役割を果たせない
・システムとは別にボトムアップの「熱」を大切に考えるべき
・自分でも「できる」ことを認識して取り戻すこと
・役所は変わらない、という失望感
・モデルというのには限界を感じる、熱を持った人、その人をサポートするような仕組みを
・AD cafeで一年たっても同じ議論をしているのは残念
・シャッフル、向こうとこちらの人を入れ替えられたらいいのではないか
○ディスカッションの中では、ボトムアップをしていく活動(庭JAPAN、わかめプロジェクト、会場に着ていたアサノコウタさんやADcafeスタッフのも りひろこさんの活動)にそのようなか可能性があるのかという質疑から、トップダウン的な構造を持つプロジェクト(チームVANさん)の話にうつり、それに ついて議論しているうちに、以前と同じ話になっている、というアサノさんの鋭いツッコミを浴びることになってしまいましたが、それでも、この問題を考え続けること に、私自身は価値があるように感じている。
というのは、これは被災地に限った問題ではなくて、現状の社会においてうまくいっていない部分についての問題でもあると思うからです。
ディスカッションを通じて、私はボトムアップとトップダウンには、そこになにか連続的ではない溝のようなものを感じています。理想的には、庭ジャパンの 方々やアサノ君たちが目指すように、一人一人が自分の身の周りのことを自分自身の手でで作り変えていくこと、その原理的な力強さには期待せずにはいられな いし、常にそういうことの先に社会と地域が見えてきてほしいと思う。
しかし、現実にはそうした力が芽生えたところでも、思いを実現するために ちょっと何かをカスタマイズしようとするだけで、「公共」「管理」「責任」や「前例」という言葉の前に、その芽がうまく育てられない状況にあるようです。 必要なところに必要なものが届けられること、それが行政としても重要なのはわかっているはずなのに、そうした活動に実験的に支援をすることは容易ではあり ません。市民の活動がボトムアップとして管理側に認められるには、活動の内容や集まり、自分たちとはどこか別にある「公共」という立場にたたなければならないように感じてしまいます。
だからこそ、何かスケールが大きくなることを「実現」するためには、首長に直接的に働きかけたほうが手っ取り早くまた力強く変えていけるのではないかと、 いうことになります。しかし、それは議論のなかでもあったように「圧倒的な個人の力量」に頼ることになり、市民が自分自身で変えていけるような自由さや力 強さはなく、汎用性のある実例には必ずしもなり得ないように感じます。
そこに横たわる溝のようなものをどのような形で埋めていくことができるのか、それは復興を歩む中で既存とは少し違った社会を、よりよく作っていくうえでとても大事なことだと思います。
今回の議論のなかでもそうしたうまくいっていない点が浮き彫りになって来ていましたし、大学などに可能性があるねではないかというアイデアもありました。
この問題は何度も別の形で立ち上がってくるように思うので、観測的にこの問題をとらえていくことが必要ではないでしょうか。
また、アサノさんのおっしゃっていた「人をシャッフルする」ことはこうした硬直した状況を動かすには有効なものだと感じました。能力を持った人々を入れ替え、新たなうねりを作り出していける可能性があります。
それはシステムとしてではなく、動きとしてそうなっていくとよいのではないか。
熱を持った個人と、それに賛同する人。それが少しづつ繋がっていくために、ADcafeのような場所が今後ともに続けていき、横のネットワークを広げて行くことが、これからも、そしてこれまで以上に重要なのではないでしょうか。
■終わりに
5月末に初めて被災地に入り、津波の被害を目の当たりにしました。
と同時に改めて三陸の海の美しさも知り、途方に暮れました。
被災地にすむひとたちが自分たちのまちを再生していこうとする強い意志も間近にしました。
今回発表いただいた方々の活動も、力強く進んで、被災地で笑顔を作り出しています。
こうした力強い意思が、実を結び、
穏やかな日々へと繋がっていくことを切に願ってやみません。
ありがとうございました。
阿部玄/JA設計